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- タイムボ缶
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2010.01.25 Monday
掃除をしていたらこんなものが出てきた。
掃除以前にも、たびたび目にしていては「邪魔だなー」とか思っていた代物。
今から10年前、2000年のある日に購入した、カップヌードルの10年缶である。買った当時のことなど、当然覚えていないけれども、おそらく、10年後の、未来服を着た21エモンのような自分へのプレゼント、と思い、うっとり未来を夢想しながら、買ったものだろう。着ている服はそんなに変わらないのが残念だけれども。
しかし、そっか〜もう10年たったんだ。食べていいんだ〜。
10年缶というのだから、10年はもつ、ということで、2000年=21世紀に突入した記念に、21世紀=タイムカプセル、てな感じで、当時発売されたものだろう。それで、底にあった賞味期限をみたら、2010年8月と書いてあった。なるほど。
ということで、2010年にもなったことだし、このタイムカンとやらを、開けてみました。
蓋はこんな感じ。200円の札がはってあるので、値段は通常の倍以上。
蓋をあけると、こんな感じ。
おなじみカップヌードルと、あと、トレーディングカードのようなものが入っていた。
トレーディング?カード。マンモスと原始人の、こんなCMありましたね。ところで、あけた時点で、それほどお腹がすいていないことに気づいた。取り出して、お湯を入れたところで、美味しく食べられるかどうか不安になってきた。その不安は間もなく、違う形で現実になるのですが、それは後述。
それでもとまらない探求欲。今度は主役のほうへ、手を伸ばしてみた。
見た目は、どっから見ても、おなじみカップヌードル。普通にビニールに包装してある。
ところが
周りをよくよくよーく見ると、ところどころに緑の斑点が。気持ち悪い。こいつはいったいなんなんだ。しかし10年缶だし、10年は持つはずだから、これはよくありがちな、スチロールの劣化じゃないだろうか、と思いながら、もう食べると一度決めた以上は、止まらない、厄介な性格ゆえに、不安を振り払い、中身を確認してみた。
見た目は、通常のものと変わらないカップヌードル。エビにネギに、あと肉。軽くつまんで一つ食べてみたけれども、特に異常は感じられなかった。ので、さっそくお湯を入れてみた。3分待つ間、ふと気になって、この10年缶を検索してみたところ、この開封プロジェクトを覆す、恐ろしい事実が判明したのでありました。(以下、転載)
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タイムカン全品回収のお知らせ(日清製粉)
弊社が2000年8月から製造・販売いたしました缶入りカップヌードル「TimeCan(タイムカン)」の一部において缶の巻き締め不良が原因で缶内に空気が入り、品質に影響する可能性が生じたため、2004年3月より新聞、雑誌や弊社ホームページで告知し、全品自主回収を進めて参りました。
さらに徹底を期すため、この度あらためて全品自主回収へのご協力のお願いをさせていただきます。
該当商品をまだお手元に保管されているお客様は、ダンボールへの箱詰めや、輸送途中で破けないように補強された紙袋などで梱包していただき、下記送付先まで代金着払いにてお送りいただきますようお願い申し上げます。後日、商品代金を送付させていただきます。
また、該当商品を保管されているお知り合いの方がいらっしゃいましたら、お手数ですが回収対象品であることをお伝えください。
賞味期間の10年間を楽しみにしていただいた皆様には、ご期待に添えず深くお詫び申し上げます。再びこのようなことの無いように一層の管理体制の強化に努めておりますので、ご理解とご協力のほど、宜しくお願い申し上げます。
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こんなこと、全く知らなかった。こっちはもう既に、お湯を入れてしまったのに!。
かといって、それ以前に気づいたとしても、わざわざカップヌードル一つのために、送り返すのは面倒くさい。このぐちゃぐちゃの中身を、送り返してやろうか、とも一瞬考えた。
というわけで、こっから先は、もう、やけくそ。どんな危険が待っているかわからないけれども、3分たった、周りの緑の斑点がおぞましい、こやつの中身を食してみた。
(食べる画像は、おぞましいので、無し)
・・・。やっぱりどこか変だ。例えるなら、近所の工場地帯を歩いているときに香ってくるような、こびりついた油の匂いというか、例えようの無い、変な抵抗を感じる。見た目は何も変わらないのに、何故だろうと、思い切って、肉片をひとつと、エビ、麺を一本だけ食べてみたけれども、異常があるような変わらないようなだったが、やっぱり危険と判断し、もったいないけど、残りは全て、三角コーナーへと流した。あまりにショックがでかい。今後しばらく、カップヌードルを食べれるかどうか。
もしも、食べる直前に、回収のページを見てなければ、緑の斑点を見てなければ、そのままずるずる食べていたのだろうか。それとも、大切に保存していた10年という月日を肯定するためにも、ガマンして全部食べてしまったほうが良かったのだろうか、とか。なんにしても、♪あ〜れか〜ら10年の〜、のロマンも、時々見かけては邪魔だなーとは思いつつも「あと×年待てば〜」と待ちわびたあの日の思いも、よもや、こんな形で終わってしまうとは。。見た目が特別変わりなかっただけに、どうせ食べられないのなら、せめて、粉々に風化していた、とか、そんなんであってほしかった。
本当に。こんな結果でお粗末でした、としか言いようが無い。さよなら僕の10年間。
dok-s
- パイプのけむり
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2010.01.22 Friday
twitter疲れ。なにかと便利だし面白そうな情報も飛び込んでくるし、と思って、興味本位で2週間ほどやってみたが、ついてこれなくなった。当初更新が楽しみで仕方がなかった情報も、やがて知りたくないような情報も入るや、ただの文字にしか見えなくなって、ここで会話ならぬつぶやくことにも、疲れてしまった。必要な人には必要なツールで、ただの好奇心で飛び込んじゃいけなかったんだろうなーと、今になって思う。
元旦の話になるが、実家に帰って、親戚連中が集まって、飲んで騒いで帰ってほっと一息ついて間もなく、北海道のおばあちゃんの訃報の電話が飛び込んできた。96歳。大往生だ。以前から、もうそろそろとは聞いていたが、久々に再会した家族が集まる日(しかも元旦)を選んだとしか言いようが無い。すごいおばあちゃんだ。
正月ということもあり、キップが取れにくいということで、自分だけ、仕事もあったのでキャンセルした。今思えば、無理してでも行くべきだったと思うが、仕方が無い。おばあちゃんはクリスチャンだったので、教会で葬式をあげたらしいが、そこで、全国各地から集結し、久々に再会した親戚が自分が今どうしているのか気になっていたらしい。こうして元気でブログを書いてますよ、と、この場を借りてお伝えします。
おばあちゃんは、体が弱る直前まで、北海道の日高三石という、海辺の町の海辺の家でずっと1人で暮らしていた。子供の頃、遊びにいくと決まって、昆布漁の手伝いをさせられた。大正生まれではめずらしく、音大を出ていて、その家にある古いピアノで、おばあちゃんからレッスンを受けたこともあった。もう昔のことなので忘れてしまったけれども、当時はピアノを習っていること自体が、苦痛で仕方がなかったので、多分そのときも嫌で仕方が無かったんだろうと思う。
その家ももう、取り壊してしまったが、窓から照明から家具から何から何まで、昭和初期の香りが残っているその部屋に、ピアノが置いてあって、そんな部屋に1人でいると、そこだけ特別な神聖な場所のような気がして、幼心にも、なかなか言いようの無い風情を感じたもの。自分ははずれ、というか辺境を感じる場所が好きなのだが、その感覚はもしかしたら、ここで身につけたのかもしれない。そのくらい強烈な空間だった。もう既に無くなってしまった場所でもあるので、その思いは更に強くなる一方だったりもする。
一度おばあちゃんが遊びに来たときに忘れて置いていった、作曲家の、團伊玖磨さんの『パイプのけむり』というエッセイ本を、時々何かの拍子に、ペラペラめくったりしている。
あるページに、すっかり茶色に変色してしまった花びらが、しおりがわりにはさんであって、その箇所には、頭が良くなる温泉の話が書いてあった。その温泉のお湯を頭にかけると、頭が良くなるということで、何度も何度も頭に温泉の湯をかけていたら、あとからどやどやと客が入ってきたので、きっとこの人たちは頭が悪いから、困り果ててこの温泉に来たんだろうなーと、憐れんで、その場から立ち去った、というような内容だった。
dok-s
- 夢が夢なら
- カレー・ブギー
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2010.01.17 Sunday
カレーを食べつくしたあとの鍋。洗うのが大変そうだし、こびりついているカレーを
なんとか有効活用できないものかと、その中に水を足して沸かし
ラーメンを放り込んで食べたら、ことのほか美味かった。すき焼きの後のうどん
みたいなもんですかね。
カレーの濃い味が残っているのでスープは3分の2くらいが丁度良いかもしれない。
投稿着メロサイトに、ここ1年半ほど自作、もしくはコピー曲の着メロを投稿していたのだが
思い立って、その活動をやめることにした。ライブ活動などに疑問を持つようになってしまい
ノルマを払ってライブハウスを借りなくても、どこででも音楽は出来る!ということを
証明しようと、思い立ち始めたものだが
ちゃんとした着メロを作ろうとすると、1曲に3日以上はかかる。寝る間も惜しんで
シーケンサーに向うのは、少々しんどくなってきたしなにより、視力も確実に落ちた。
それに、またライブ活動が恋しくもなってきた。以前は疑問に思っていたライブ活動も
やり方によっては素晴らしい時間を作る事も出来るんだなーってことにようやく
今頃になって気づいたのですわ。
しかし、「投稿着メロ」というアイディアは、ここ最近では一番感激した音楽スタイルで
普段、音楽活動をする場所の無い人が、CD屋に行く暇もなくて、携帯で着メロを検索する
くらいしか出来ない、ユーザーなどに向けて、着メロを作る。
作った着メロに対し、ユーザーから、感想などをもらったり
指摘をされることによって、その音楽に対して語り合える場も出来る。
自分の場合は、主に懐かしいもの、それもCDのサントラにすら収録されないような
マイナーなテレビのテーマソングなどを作ってきたが、そんな楽曲に対し
DLしてくださった方から、その曲の思い出などを
語ってくれたりすることによって、生きてきた時代が一緒だったんだなーと、共感を得たり
も出来た。探してました、なんて言われるのは、とても嬉しかった。
個人的には、孤独だったけれども、ここ一年半は、充実した日々でもあった。
毎日のように、部屋で1人、シーケンサーに向っていた日々は、決して無駄にはならない
と思う。
しかし、今やるべきことを考えると、そのために時間を割くことがほぼ「不可能」とわかった。
これでJ研を辞めるのではなく、別名義で、主にdok-s project用の曲作りのために
それのデモを発表する場として有効活用したいと思う。
dok-s
- 人間ATM
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2010.01.15 Friday
久々のブログでごんす。前のブログは消しちゃったからね。
しかし別段書くこともなし..と思っていた矢先
twitterでも書いたけども、今日、銀行のATMに入ったら、ピコピコ音が鳴っててうるさかったので、誰か領収書でも忘れたかな?と機械を覗いてみたら、中に一万円入っていて、びっくりした。前の人があわてていたかなにかで、抜き取るのを忘れていたのだろう。
こういうものは、しばらくたつと蓋が閉じるものなので、忘れたてに違いないと思い、急いで銀行の出口に向ったが、既に誰もいなかった。再び、ピコピコうるさいATMの前まで行き、ずっとなりっぱなしじゃまずいと判断し、一万円を抜き取った。
出たてほやほやの万札をつかみ、一瞬、これは神様から自分へのお年玉かしら?とも思ったが、閉店後のATMコーナーしか空いていない店内とはいえ、自分の姿はしっかりカメラには映っているだろうし、周りには客もいて、音の鳴っている自分のほうを、ちらちら見ている。
それに、何より大金ですから。1万円は今の自分にとっては大金。しかし、悪魔よりも良心が勝ってしまったので、行員を呼び出し、届けることにした。
早速、そばにあった内線につないで、行員を呼んでもらうことにしたが、閉店後しばらくたっての時間帯だったからか、なかなか出てこない。やがて、キャッシングの機械の向こうから、行員とおぼしき人のひそひそ声が聞こえたので、ああ、やっぱまだ誰かいるんだ、いなかったらこのまま、、とも思っていただけに残念だったが、さらにしばらくたって、行員(美人)がつかつかと自分そばにやってきて、ようやく、一万円を渡す事ができた。この間約10分間。随分待たされたような気がした。名前と電話番号を告げ、1万円を渡す際に、持っていた手袋を落としてしまい、拾ってもらったが、これで、動揺しているのがばれたかもしれない。
関係ないけど、ATMの向こうからひそひそ声が聞こえた時に、ふと、子供の時にATMの中には人がいる、と信じていた事を思い出した。椅子みたいな形してますからね。
dok-s